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人生観の原点 吉田拓郎 [音楽・舞台]

よしだたくろうのことを知ったのは15歳。すでに「結婚しようよ」や「旅の宿」がヒットした後なので、知ったというのはちょっと違うかも知れない。中学3年生卒業間近、当時のはやりで、サイン帳なるものがクラスの中を飛び交っていた。私の好きだったMさんのサイン帳が回ってきた。「他の人はどんなことを書いているんだろう」、ふと野球部のTのペ-ジが目に留まる。そこにはあのTの顔からは想像出来ない詩が書いてあった。

> さよならが言えないで どこまでも歩いたね 街灯りさえ消えて 足音がさみしいよ
> わかってくれるただ一人の君を はなしたくないのに 冷たいこの世界

> 年老いた男が川面を見つめて 時の流れを知る日がくるだろうか

「えっ、何これ? MさんとTってそういう仲やったん?」、という疑問はさておき、「年老いた男が...」という歌詞のすごさ。衝撃!「これ、Tが自分で考えたんか? お前、すごいなあ」。無知というのはほんとうに恐ろしい。それが「マ-クⅡ」という拓郎の曲だと知るまで2日かかった。送ったはがきを読んでもらって、ラジオ局からカバンをもらうくらいには、深夜放送も聴いていたのに... そして私はすぐに、拓郎が暗~い顔で写っているジャケットのレコ-ド、「元気です」のカセット版を買った。1曲目、「春だったね」は、文字通り、私の人生観(15の少年はそんなもの持ってなかったが)を大きく変えた。見たことも聞いたこともない世界。私にとってこの曲との出会いは、「その時歴史が動いた」のその時であるといっても過言ではない(そんなたいしたものでもない)。

>曇りガラスの窓をたたいて 君の時計を止めてみたい
>ああ、ぼくの時計はあのときのまま 風に吹き上げられたほこりの中
>二人の声もきえてしまった ああ あれは春だったね

実際、「春だったね」の作詞は田口叔子という人だったが、そんなことは関係なかった。そのアルバムは15の少年にとって、未知の世界への扉だった。「加川良の手紙」、「せんこう花火」、「親切」、「りんご」、「たどり着いたらいつも雨降り」、「馬」、「祭りのあと」、「高円寺」、「夏休み」、「旅の宿」、「また会おう」...そして、それから7年、つまり大学を卒業するまで、私は拓郎づけの日々を送った。その7年は、人がその価値観を形成する時期である。私の価値観の原点は、間違いなく「よしだたくろう」なのだ。今でも、(めったに聞かれないが)座右の銘は何かと聞かれると、「今はまだ人生を語らず」と答える。会社の人とカラオケに行くと必ず、頼みもしないのに「落陽」のマイクが回ってくる。そしてたぶん、私と同じように拓郎に感化された人は、同年代にたくさんいると思う。「イメ-ジの詩」、「ともだち」、「今日までそして明日から」、「どうしてこんなに悲しいんだろう」、「「好奇心」、「されど私の人生は(こりゃ、斉藤哲夫か)」...たくさん、たくさん、教えてもらった。

この週末、家内が留守にしているのをいいことに、私は古いレコ-ド・プレ-ヤ-を引っ張り出してきて、TVに繋いだ。「レコ-ド」だから絵は出ないが、音は出る。35年の時を経てサムソンのTVから拓郎の声が流れ出す。「人生を語らず」、「明日に向かって走れ」、「御伽草子」、立て続けに大きな音で聞く。酔いも手伝っていっしょに歌う。LPレコ-ドの片面は20分ちょっとだから、ひっくり返したり取り替えたり、操作が忙しい。でも、ワインと焼酎で半分とろけた頭に、拓郎の叫びが心地よくしみる。

> 今はまだまだ人生を語らず 目の前にもまだ道はなし...
> こんなときは誰にも会わないで、勝手に酔っ払っちまったほうが勝ちさ...
> いつか失った怒りを胸に 別れを祝おう ...
> だから 明日に向かって走れ 言葉をつくろう前に...
> 女王陛下はいい女だから付き合ってみたいと思う それも自由だとビ-トルズは教えてくれた...

それにしても、反体制的とも思われていた「フォ-ク」歌手が、「明日に向かって走れ」なんて、入社式で社長が言ってもおかしくない、ポジティブなタイトルの歌を唄っているのは、なんだか面白い。レコ-ドを聞きながら、彼のメッセ-ジは今でも私の心にしっかり根を張っていることを改めて想う。

私の人生観のベ-ス、拓郎との夜は、「いいちこ」とともに過ぎていった。

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ももんがママ

単身生活を満喫していらっしゃるようですね(^^♪

> 今はまだまだ人生を語らず 目の前にもまだ道はなし...

これはたくろうさんの歌詞だったんですね。雀翁さんらしい座右の銘だなあと思っていたら、ここにあった言葉だったんだぁ!とちょっと秘密を教えていただいたようなうれしい気分です。

私は「そのとき歴史は動いた」ほどの歌にまだめぐり合っていないかもしれません。でも癒してくれる歌はあります。心がつかれたり、いきり立っているときに聞くと、不思議と心が落ち着く歌があります。実は下書きしたまま更新していない記事にそのことを書いているのですが、なんだか締めをまとめることができなくて、なんとなくそのままにしています。あれ、今度更新してみよう(^^♪

by ももんがママ (2009-04-08 09:06) 

Krause

吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるの歌、大好きでした・懐かしい世代の歌です。私は、もう少し若い世代なので、「反体制」的なものは感覚的にか感じませんでした。
by Krause (2009-04-08 10:02) 

雀翁

ももんがママさん、

単身生活、たまにやると楽しいです。
むか~し、入社早々、会社の部長が、「雀翁くんの座右の銘は何や?」て聞くんです。当然、新入社員にそんなものはないのです。ははあ、「部長の座右の銘は何ですか?」、と聞いて欲しいのかなと思ったのですが、そう思うと、絶対に聞けないのが、若いころの未熟な私でした。ちょっと考えて、「これです」と紙に書きました。

「不語人生」(人生を語らずを漢文調で書いたもの)

「ふごじんせいって何や?」、と部長が聞くので、拓郎のことは伏せて、適当に誤魔化しました。いまだにあの部長の座右の銘は知りません。

ももんがママさんが落ち着ける曲、是非、紹介してください。
ちなみに、拓郎の歌で私が落ち着けるのは、「海へ帰るよ」です。

by 雀翁 (2009-04-08 12:17) 

雀翁

Krauseさん、

考えれば、拓郎も陽水も、まったく「反体制」ではありませんね(泉谷はちょっと...)。「フォ-ク」と呼ばれた狭量で、ある意味偏ったジャンル(異論もあるかと思いますが)に、自由を与えたのが、これらの人たちなのでしょうか。
これを書いた後、アマゾンで復刻版のCDを注文してしまいました。

by 雀翁 (2009-04-08 12:25) 

collet

たくろうは男子に人気があったんですよね。
で、わたしなどはあまり好きではありませんでした。
だって、見た目が大事な女子にはスマートさに欠けて見えて・・・
それに当時はGSの人気が最高潮でしたしね。
女子はジュリーしか目に入らなかったのでは~(~o~)

でも、彼の登場がそれまでの洋楽ばかりだった音楽界を変えたように思います。
岡林信康やたくろう、陽水たちが日本にもオリジナルフォークソングを作り、
彼らがいて、その後にはニューミュージック旋風が吹き荒れることとなり・・・
今こうやって、韓国や中国にも沢山のJ-ポップファンがいるんですものね~~

あっ、ところで雀翁さん、調子に乗って飲み過ぎないようにご注意を!!
by collet (2009-04-08 13:33) 

maki

今の若い子たちがよく「この詩に勇気付けられました」とか「まるで自分のことを言ってるように思えて泣けてきました」とか言ってるのを聞くにつけ、へ~よほどじっくり歌詞を聴いてるんだなあ、と驚くことがよくありました。
私って曲がかかっていても流してしまい、ほとんど聴いていないんです。
だから歌詞も断片的にしか記憶に残らなくて・・・。

その歌によって人を勇気付けたり、やる気を出させたり、人生観の礎まで造るとは・・・!
歌ってすごいパワーがあるんですね。

私が中学生の頃、フォークソングが流行っていて、友だちがよく聴いていました。
でもその内容がなんだか貧乏くさくってイヤだったの^^;
神田川沿いの薄暗いアパートなんかを想像させるような、、
そう考えると、最初に聴いた曲がその人の音楽人生を左右するかもしれませんね。
by maki (2009-04-08 15:08) 

雀翁

colletさん、

私が、生まれて初めて「黄色い声」というものを聞いたのが、神戸国際会館でのたくろうのコンサ-トでした。ですから、「何人かは」、女性ファンもいたのです(あたりまえか)。

ポイントはそこなんです(どこ?)。つまりGSの、花とか、湖とか、渚とか、エメラルドとか、モナリザとか、シャト-とか、白鳥とか、そんな歌詞にすっかり飽きていた私に、たくろうの歌はほんとに新鮮だったのです。

飲みすぎ、注意! 善処いたします。

by 雀翁 (2009-04-08 18:28) 

雀翁

makiさん、

たくさんの少年がそうしたように、私も自分の部屋でギタ-を鳴らして、何度も何度もたくろうのの歌を唄いました。だから、歌詞が頭から離れないのです。もちろん、いやな歌詞だったら唄わないでしょうから、唄った歌はすんなり、心に染み込んでいって、いつの間にやら、人格形成の一端のになうまでになったんだと思います。

神田川沿いの薄暗いアパートなんかを想像させるようなグル-プの歌詞では、人生観の礎にはなりません。でもあの詩を書いた喜多條 忠という人は、すごい人です。

> 24色のクレパス買って あなたが描いた私の似顔絵 いつもちっとも似てないの...

こんな詩、なかなか書けませんもの。

by 雀翁 (2009-04-08 18:40) 

Bonheur

吉田拓郎って、そんなに偉大な人だったんですね・・・「(スーパーからくりTVに出ている)タレント浅田美代子の元ご主人」くらいの認識しかありませんでした。
私は「自分の歴史が動いた」と思うほどの曲には巡りあっていない気がします・・・
小1の頃、父が買ったカラオケセットに入っていた、「雨の慕情」や「セーラー服と機関銃」、「哀しみ本線日本海」、「北の宿から」は、半分意味もわからず頑張って歌った記憶があります。演歌が結構心に残ってます。
by Bonheur (2009-04-08 21:04) 

COLE

私とほぼ同世代ですね
いわゆる「歌謡曲」が好きだったことは確かですが
でもあまり拓郎にはのめりこまなかった
今となってみれば何でだったんだろうとも思います
ラジオの深夜放送を聴くのが日課でした
by COLE (2009-04-08 21:33) 

雀翁

Bonheurさん、

確かに浅田美代子の元だんなであり、キンキキッズと番組をやってたりしましたが...

「人生を語らず」が発表された1975年(Bonheurさん生まれてないかな)、高2だった私たち悪ガキ3人は、友達のT君の家で、部屋をの灯かりを消して、このLPを黙って聞いていました。男だけのクリスマスイブです。煙草に火をつけ、静かにウィスキーを飲んでいると、中学の先生だったT君にお父さんが、部屋に入ってきて、「タバコは、百害あって一利なしや」と話をてくれました。そして私たちは少しだけ人生の話をしました...

演歌ですか?
ずう~っと好きではありませんでしたが、ここ1~2年、ようやくいやではなくなってきました。

by 雀翁 (2009-04-08 21:46) 

雀翁

COLEさん、

ラジオの深夜放送よく聞きました。歌はテレビよりラジオでたくさん知りました。

> when I was young I'd listen to the radio waiting for my favaorite song

そんな日もありました。

by 雀翁 (2009-04-08 21:52) 

nomu

私は陽水派でした。^^;中学生の頃、「傘がない」を聴いてすごく新鮮に感じました。
うちの相方は拓郎派です。
by nomu (2009-04-08 22:53) 

雀翁

nomuさん、

「傘がない」もすごくショッキングな歌でした。陽水の曲は、歌詞がすごく繊細です。
ずっと前、「能古島の片想い」が大好きでした。

by 雀翁 (2009-04-09 09:04) 

Bonheur

中学生なのにウィスキー!!渋すぎる!!(いや、つっこむべきはそこではない)
雀翁さんが中学生の時って、リーゼントとかしてたんですか?

by Bonheur (2009-04-09 20:54) 

雀翁

Bonheurさん、

いくら私がお酒が好きと言っても、中学生ではまだウィスキーは飲みませんでしたよ。エピソ-ドは、高2の時のことです。私のコメントを読み返すとなんだか間違ってますね、失礼しました。T君のお父さんが中学の先生だったんです(職業として)。そして高校生だった私たちに注意してくださったんんです。
あのころ、松田優作の真似をして、うまくもないのにミスタ-スリムという長いタバコをたま~に吸っていました。男の子が誰しも通る道です(とは限らないけど)。

言っておきますが、私はまじ~めな学生でした(酒は飲みましたが)。
リ-ゼントがかっこいいなんて、1度も思ったことありません。だいたい、あんな邪魔くさいことするなんて、外見に殆どこだわりのない私には、想像だにできません。高校のときは、当然、たくろうカット(ただ、のばしていただけ)。何回か、心無い人たちから、見苦しいと言われましたが。

by 雀翁 (2009-04-10 08:08) 

sarahe

翁雀さん、ほぼ同世代としては、拓郎は青春時代(何と甘酸っぱい言葉だろうか)の思い出と、重なりあいます。全共闘の時代が終焉した70年安保闘争、その4年後に大学へ入学しましたが、全共闘組織は跡形もなく消え去り、それに取って代わったのが新左翼革マルと中核派でした。saraheは「労働問題研究会」なるサークルに顔を出していましたが、何とそこは新左翼の隠れ蓑となる活動サークルだったのです。
お陰で三里塚闘争へ駆り出されました^^;

saraheは暗い学生時代を過ごしました。ですから、「山崎ハコ」(ご存知ですか?)のレコードを、毎晩のように聴いていました。彼女の物悲しい歌詞、歌い方・・・どれも当時のこころに響いてきたものです。
by sarahe (2009-04-11 09:31) 

雀翁

saraheさん、

私が、大学生になった時(1976)には、神戸の田舎の大学でしたから、学生運動の「が」の字もありませんでした。受験で入った関西大学では、ヘルメットを被った兄ちゃんたちが歩いているのを見ました。生々しい記憶は、小学校6年生のとき、関西の小学校の器楽演奏コンク-ル参加のため阪大へ行ったとき、立て看や、机やいすのバリケ-ドの残骸を見たことです。

山崎ハコ、もちろん知ってます。どうしてあんなに悲しく暗く唄うんだろうと今でも不思議です。

by 雀翁 (2009-04-14 08:34) 

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