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義父の写真 [家族]

「じいじが亡くなりました。ばーばとままとKさんとRくんと私が一緒です。」
(Kさんは家内の姉、Rくんはその長男)

5月27日、午後5時47分。 入院中の義父80歳の訃報は、娘からのメ-ルだった。

家内はその前日26日昼過ぎの便で帰国したので、なんとか間に合った。実際、帰国した日、空港から直接病院に駆けつけ、義父の様子を見て一安心した(まだまだ大丈夫そう)とその夜の電話で話していた。 「顔を見せてあげて」と娘を電話で誘ったのもそんなに深刻な話ではなかったはずだ。それが翌日午後、急に悪くなり.........逝ってしまった。

翌日の朝一番の関空への飛行機を手配してもらい、最小限のメッセ-ジを残して会社をあとにした。家内の実家に電話すると、「取り込んでいるからあとで電話する」という。後で聞いた話だが、夜12時近くまで葬儀屋と打ち合わせがあったそうだ。電話を待つ間、何も手に付かなかった。晩御飯を食べてなかったので、何か食べた(何を食べたか忘れた)。翌日の出発の準備をしなければと、ス-ツケ-スを引っぱり出した。「何を入れよう?」、旅行には慣れているはずなのにまったく考えがまとまらない。30分1時間があっという間に過ぎていく。四日市の息子から電話があり、「とにかく行かなければならない」という話をする。深夜近く、家内から電話が入る。ものすごく落ち着いていたので、かえって戸惑った。葬儀屋との話は、考えそして判断することの連続だったようで、感情を持ち出す余裕が無かったのだろう...予定を聞き、翌日午後通夜の会場で会うことにして電話を切った。それから、喪服を用意したり、意味もなくTVを見たり、ベッドに入ったのは2時を回っていた。

5月28日、ソウルからの便は空いていた。一旦家内の実家により、喪服に着替え、娘と姪といっしょに会場へ向かう。通夜の準備はすっかり出来上がっていた。祭壇右に義父の写真。笑っていた。心から笑っているようだ。あまりにうれしそうに笑っているので葬儀の場にふさわしくないようで...でも、よく見るとそれがやっぱり一番ふさわしいように思えた。ラフな服装で、胸には自慢のサングラスを模したブロ-チまで付いている。前夜、義母とその2人の娘たちが選んだのだと言う。「いい写真でしょ、やっと見つけたんですよ。ほら、うれしそうに笑ってる」、と義母がいう。2007年、当時もう車椅子を必要としていた義父が、義母とともに遠路スイスまで来てくれた時、レマン湖畔で撮った写真だった。通夜・葬儀・斎場・骨上げ・初7日、悲しい行事が続く中、義父はずっと笑っていた。そしてそれが、みんなの気持ちを和ませた。後日、娘から来たメ-ルにもその写真の笑顔がどんなに娘をなぐさめたかが書かれていた。「お葬式は悲しいだけじゃなかった」...娘の言いたいことはよくわかった。

私は義父の写真に手を合わせるたびに胸の中で語りかけた。
「お義父さん、もう自由に動けるんですね。車椅子に乗らなくても歩けるし、走ることもできる。その気になれば飛ぶことも出来るんでしょ? 好きな車も運転できる。ずっとベッドにいなくていいんですね。トイレにも行きたいときに行けますよ。ほら、自分で笑ってるじゃないですか。うれしいんでしょ? 後のことは気にせず、後に残った連中に任せて、しばらく楽園の中を自由に走り回ってください、飛び回ってください。随分がまんされたんですから。そして、ときどきこちらを見て、お義父さんの残した家族に悪さをする人が居ないように、見てあげてくださいね。よかったですね、自由になれて。ほんとうによかった、おめでとうございます」

葬儀の後2日間、少しのお手伝いをして、私はまた一人ソウルに戻った。訃報を聞いてからわずか5日の間に、たくさんのことがあった。それなのに、まるで何も無かったように日々の生活が繰り返される。

押し寄せる悲しさは津波のようで、誰にも止めることができない。

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