京都大原三千院 伏見稲荷でコンと鳴く [旅行]
娘が京都の大学に通っていた6年間、何回かその街を訪れ、そして好きになった。行く度に新しい発見のある古都である。この春、娘は東京へ発ったが、京都は私にとっても親しみのある街になった。年末、その京都をまた訪れることになった。本拠地の明石からは新快速に乗って約1時間である。四条烏丸の安ホテルで荷物を預け、早速、錦市場あたりから始める。とても込んでいたが、この市場は、京野菜、漬物、海産物、お茶、お米、お箸、食器、台所用品、扇子など、見るだけで楽しいもの満載である。特に年末ともなれば、それらしいものがずらりと並ぶ。和食器と生姜のおろし金を買った。河原町の交差点を過ぎ、鴨川を渡り、八坂神社を抜けて、高台寺の境内を通り、2年坂3年坂を歩いて、清水さんへ出る。みたらし団子を食べたり、汁粉屋に入り込んだり、いろんな店を冷やかしながら歩く。楽しい。山ほどの試食品とお茶までただで飲める「おたべ」の店にいると、お腹いっぱいカロリ-いっぱいになってしまう。清水さんに着いた時にはもう暗くなりかかっていたので、参拝はせず、来た道をホテルに戻る。夜は京都とは特に関係のない串カツ屋に行く。次から次へといろんな具材を揚げてくれる串カツは大好きだ。ホテルに戻ってくつろいでいると、夜11時過ぎ、同じく京都にいた娘が部屋にやってきたが、とても眠かったので、あいさつだけして眠ってしまった。









翌日、NHKの「猫の手、カエルのシッポ」ですっかり有名になった大原へ行く。四条烏丸からバスに乗って約1時間。バスはどんどん山間に入っていく。大原にはずいぶん昔来た記憶がある。しかし、その記憶は三千院に行ったというだけの記憶で、はたして三千院がどんな寺だったかさえ覚えていない。バス停から10分ほどで三千院につく。山門のところで写真を写していた和服の中年女性...妻は「あれは絶対男だ」と言う。私はあまり注意を払っていなかったので、その真偽はわからない。でも、もしそうなら、何か深い事情があるのだろう(特に知りたくはないが)。本堂に行く前に、生まれて初めて写経なるものをした。誰もいない小さな部屋に机が並んでいて、「ご自由にどうぞ」という張り紙があった。経文は般若心経ではなく、たった2行の簡単なものだった。机の前に正座し、心を落ち着ける...と言いたいところだが、寒い部屋で正座をした足が痛くて、心も身体も落ち着かない。しかし、なんとか背筋を伸ばし、筆をとる。見本の上をなぞっていくだけだから、どう考えてもきれいに書けるはずなのに、私のもった筆ペンは、私の意志に反し、また見本にも反し、ただ私の書道能力に即して、情けない字を書き連ねる。写経により、心は整然とし煩悩を忘れ清々しい気分になるはずが、書き終わった自分の字を見て、心は乱れ、曇った気分で、「ペン習字でも習おうか」と、煩悩をむき出しにしてしまった。どうやら、私は写経に向いていないらしい。部屋の前のお盆に写経の紙を奉ずるように指示されていたが、こんなものを奉納したらかえってバチがあたるのではないかと危惧する。お庭を見て、阿弥陀さんを拝見してようやく心が落ち着く。三千院を後にして、音無しの滝へ向かう。シ-ズン・オフなのだろう、ほとんど人と出会うこともなく、山の道を川の上流へと歩く。とても気分がいい。写経のこともすっかり忘れられた。滝はそんなに大きなものではなかったが、趣のある静かな場所だった。Uターンして、寂光院へと向かう。お寺に入るつもりは無く、ただ大原の山里を歩きたかった。TVで見るベネシアさんの家のあたりの風景とは、ちょっと違ったが、のんびりしたいい所だった。足を伸ばして、田んぼの農道をぶらぶらする。しかし、よく考えれば、このような所は全国いたるところにある。わざわざ、大原まで来なくてもいいのだ。途中、道の駅のようなところで、「大根うどん」なるものを食べた。とてもおいしかった。夜は五条烏丸にある蕎麦屋に行った。前に娘が住んでいた関係で、何回か行ったことがある。蕎麦以外のものも美味しく、またテキパキしたスタッフのサ-ビスが気持ちいい。サラダ、各種牡蠣調理、漬物などで、ワインと日本酒を飲み、蕎麦で締めた。









翌日、朝のうちにチェックアウトして、荷物を祇園の旅館に運んだ。最後の一泊は、何回か泊まった祇園の旅館ですることになっていた。荷物を預かってもらって、JR京都駅から伏見稲荷へ向かう。別にお稲荷さんを信仰しているわけではないが、今回は京都の中心部からちょっと外れた?所へ行こうという魂胆である。だいたい、稲荷神社が何者なのかまったくわかっていない。紅い鳥居ときつねののイメージがある他は何も知らない。そして実際に行った伏見の稲荷大社は、ものすごかった。総本宮の名に恥じない、とてつもない規模だ。山一つが稲荷大社とその姻戚の神々?によって覆われている。正月前ということで、初詣の用意が進んでいた。人ごみに弱い私は、人が繰り出す前の年末に来るのが正解だったようだ。さて本殿に詣でお賽銭を探った。財布の中の小銭は...2円。まさかの2円しかない。妻と分ければ一人1円。50を過ぎたいい大人が、お賽銭に1円て...しかし、それがいやなら、お札しかない。一挙に1000倍の千円だ。恥ずかしい話だが、未だに、お賽銭に紙を使ったことが無い。私は金属常用者である。私は宗教を持たない。あらゆる神仏を信じていない。それらを信じるには、今の世の中で起こっていることは酷すぎる。もし神仏がいるなら、そんな酷いことを看過するはずがない。神社やお寺にお参りするが、それは慣習的にするのであって、宗教的にするのではない。いろんな理屈をつけて、伏見のお稲荷さんにはまことに申し訳ないが、1円を奉じさせてもらった。そのくせ、「世界平和と、子供たちの飢餓の撲滅」と、とても1円でお願いするには厚かましすぎるお願いをした。信心ごとをして気持ちがさっぱりしたので、有名な千本の鳥居の続く神社の裏の山へ入った。紅い鳥居がはてしなく続き、その切れ間には数知れない祠がたくさん祭ってある。伊勢神宮などに行くとその静粛さや威厳に圧倒されるが、伏見稲荷ではそのにぎやかさに圧倒される。1周1時間ちょっとの裏山コ-ス?を歩いた。何故か、西洋人の数が多い。彼らがお稲荷さんを信仰しているとは思えないから、単に観光目的(私も同じ)だろう。
京阪で電車で伏見桃山へ出る。伏見は酒どころで、黄桜や月桂冠などのメジャ-ブランドもある。残念ながら年末で、利き酒(ただ酒)などはできなかったが、黄桜の蔵元で昔懐かしい、カッパのコマーシャルを見たり、100円でショット酒などを楽しんだ。伏見はまた幕末の浪士が徘徊した街でもあり、あの有名な寺田屋もある。坂本龍馬の定宿でが九死に一生を得た場所でもある。拝観料を払って入ったが、特に見るべきものはなく、最後に現存の建物と実際の寺田屋が同一ではない可能性が高いことを指摘した新聞記事なども展示されており、???である。









その旅館「K楽」には、何度か泊まって、いつもいい印象を持っていたが、今回はどうも違った。目に見えて「コスト削減」を感じてしまうのである。そしてそれが、料理の質にまで及んでいるのを知ってしまったとき、もう「K楽」に来ることはないと思った。朝ごはんなど、前泊の安いホテルの方がよっぽど立派だった。経営が苦しいのだろうが、料理の質を落としてしまったら、「料理旅館」の名が泣くし、お客さんは間違いなく離れていく。経営者は、何が大事で、何が削れるかを判断するしっかりした目を持たないと破綻への道を転がってしまうことになる。知った旅館がそういう風になるのはとても残念だ。
大晦日、娘を入れて3人でソウルに戻る。自宅に着いたのは5時過ぎ、大急ぎで近くのス-パ-に買出しに行き、7時半の紅白に間に合った。2011年の紅白は、例年にないいいで気だったと思う。









翌日、NHKの「猫の手、カエルのシッポ」ですっかり有名になった大原へ行く。四条烏丸からバスに乗って約1時間。バスはどんどん山間に入っていく。大原にはずいぶん昔来た記憶がある。しかし、その記憶は三千院に行ったというだけの記憶で、はたして三千院がどんな寺だったかさえ覚えていない。バス停から10分ほどで三千院につく。山門のところで写真を写していた和服の中年女性...妻は「あれは絶対男だ」と言う。私はあまり注意を払っていなかったので、その真偽はわからない。でも、もしそうなら、何か深い事情があるのだろう(特に知りたくはないが)。本堂に行く前に、生まれて初めて写経なるものをした。誰もいない小さな部屋に机が並んでいて、「ご自由にどうぞ」という張り紙があった。経文は般若心経ではなく、たった2行の簡単なものだった。机の前に正座し、心を落ち着ける...と言いたいところだが、寒い部屋で正座をした足が痛くて、心も身体も落ち着かない。しかし、なんとか背筋を伸ばし、筆をとる。見本の上をなぞっていくだけだから、どう考えてもきれいに書けるはずなのに、私のもった筆ペンは、私の意志に反し、また見本にも反し、ただ私の書道能力に即して、情けない字を書き連ねる。写経により、心は整然とし煩悩を忘れ清々しい気分になるはずが、書き終わった自分の字を見て、心は乱れ、曇った気分で、「ペン習字でも習おうか」と、煩悩をむき出しにしてしまった。どうやら、私は写経に向いていないらしい。部屋の前のお盆に写経の紙を奉ずるように指示されていたが、こんなものを奉納したらかえってバチがあたるのではないかと危惧する。お庭を見て、阿弥陀さんを拝見してようやく心が落ち着く。三千院を後にして、音無しの滝へ向かう。シ-ズン・オフなのだろう、ほとんど人と出会うこともなく、山の道を川の上流へと歩く。とても気分がいい。写経のこともすっかり忘れられた。滝はそんなに大きなものではなかったが、趣のある静かな場所だった。Uターンして、寂光院へと向かう。お寺に入るつもりは無く、ただ大原の山里を歩きたかった。TVで見るベネシアさんの家のあたりの風景とは、ちょっと違ったが、のんびりしたいい所だった。足を伸ばして、田んぼの農道をぶらぶらする。しかし、よく考えれば、このような所は全国いたるところにある。わざわざ、大原まで来なくてもいいのだ。途中、道の駅のようなところで、「大根うどん」なるものを食べた。とてもおいしかった。夜は五条烏丸にある蕎麦屋に行った。前に娘が住んでいた関係で、何回か行ったことがある。蕎麦以外のものも美味しく、またテキパキしたスタッフのサ-ビスが気持ちいい。サラダ、各種牡蠣調理、漬物などで、ワインと日本酒を飲み、蕎麦で締めた。









翌日、朝のうちにチェックアウトして、荷物を祇園の旅館に運んだ。最後の一泊は、何回か泊まった祇園の旅館ですることになっていた。荷物を預かってもらって、JR京都駅から伏見稲荷へ向かう。別にお稲荷さんを信仰しているわけではないが、今回は京都の中心部からちょっと外れた?所へ行こうという魂胆である。だいたい、稲荷神社が何者なのかまったくわかっていない。紅い鳥居ときつねののイメージがある他は何も知らない。そして実際に行った伏見の稲荷大社は、ものすごかった。総本宮の名に恥じない、とてつもない規模だ。山一つが稲荷大社とその姻戚の神々?によって覆われている。正月前ということで、初詣の用意が進んでいた。人ごみに弱い私は、人が繰り出す前の年末に来るのが正解だったようだ。さて本殿に詣でお賽銭を探った。財布の中の小銭は...2円。まさかの2円しかない。妻と分ければ一人1円。50を過ぎたいい大人が、お賽銭に1円て...しかし、それがいやなら、お札しかない。一挙に1000倍の千円だ。恥ずかしい話だが、未だに、お賽銭に紙を使ったことが無い。私は金属常用者である。私は宗教を持たない。あらゆる神仏を信じていない。それらを信じるには、今の世の中で起こっていることは酷すぎる。もし神仏がいるなら、そんな酷いことを看過するはずがない。神社やお寺にお参りするが、それは慣習的にするのであって、宗教的にするのではない。いろんな理屈をつけて、伏見のお稲荷さんにはまことに申し訳ないが、1円を奉じさせてもらった。そのくせ、「世界平和と、子供たちの飢餓の撲滅」と、とても1円でお願いするには厚かましすぎるお願いをした。信心ごとをして気持ちがさっぱりしたので、有名な千本の鳥居の続く神社の裏の山へ入った。紅い鳥居がはてしなく続き、その切れ間には数知れない祠がたくさん祭ってある。伊勢神宮などに行くとその静粛さや威厳に圧倒されるが、伏見稲荷ではそのにぎやかさに圧倒される。1周1時間ちょっとの裏山コ-ス?を歩いた。何故か、西洋人の数が多い。彼らがお稲荷さんを信仰しているとは思えないから、単に観光目的(私も同じ)だろう。
京阪で電車で伏見桃山へ出る。伏見は酒どころで、黄桜や月桂冠などのメジャ-ブランドもある。残念ながら年末で、利き酒(ただ酒)などはできなかったが、黄桜の蔵元で昔懐かしい、カッパのコマーシャルを見たり、100円でショット酒などを楽しんだ。伏見はまた幕末の浪士が徘徊した街でもあり、あの有名な寺田屋もある。坂本龍馬の定宿でが九死に一生を得た場所でもある。拝観料を払って入ったが、特に見るべきものはなく、最後に現存の建物と実際の寺田屋が同一ではない可能性が高いことを指摘した新聞記事なども展示されており、???である。









その旅館「K楽」には、何度か泊まって、いつもいい印象を持っていたが、今回はどうも違った。目に見えて「コスト削減」を感じてしまうのである。そしてそれが、料理の質にまで及んでいるのを知ってしまったとき、もう「K楽」に来ることはないと思った。朝ごはんなど、前泊の安いホテルの方がよっぽど立派だった。経営が苦しいのだろうが、料理の質を落としてしまったら、「料理旅館」の名が泣くし、お客さんは間違いなく離れていく。経営者は、何が大事で、何が削れるかを判断するしっかりした目を持たないと破綻への道を転がってしまうことになる。知った旅館がそういう風になるのはとても残念だ。
大晦日、娘を入れて3人でソウルに戻る。自宅に着いたのは5時過ぎ、大急ぎで近くのス-パ-に買出しに行き、7時半の紅白に間に合った。2011年の紅白は、例年にないいいで気だったと思う。






