So-net無料ブログ作成
検索選択
ウエルネス ブログトップ
前の5件 | -

越えていけそこを [ウエルネス]

私が最初にダイエットの必要性を感じたのは、もうずいぶん前、2002年の後半だったと思う。手持ちのすべてのズボンがきつくなったころだ。当時はまだ「メタボ」などともてはやされる(?)こともなく、ただ単に、ちょっとお腹周りを絞った方が、快適に生活できるのではないかと思った。その2002年には記念すべき第一回目のぎっくり腰もやっており、「体重を落とそうかな」、「落とした方がいい」、「落とすべきだ」、「落とさなければならない」という機運が盛り上がってきた。食事制限など意志の弱い私には、「ほとんど実行不可能なこと」は初めから考えず、「楽しく運動をする」という方向で内部調整が続いた(解説:決断を下さず、論議だけして仕事をしているように見せかけること。政治家がよく使う言葉。例:「県外」の方向で調整しています)。

体重が77のぞろ目になったとき、さすがの私もようやく重い腰を上げた(お腹だけでなく、腰も重くなっていた)。ダイエットに向けて決然と立ち上がったのである。かくして、2003年1月吉日、私の第2の人生 with Diet が始まった。ある時は地上30階のホテルのジムで、ある時はレマン湖のほとりで、ある時はアパ-トのジムで...スイスで一時オン・オフはあったものの、2006年の末から今まで、継続的に運動を心がけている。タイでの第一期ダイエット黄金時代では、面白いように体重が落ち、4ヶ月で77が68にまで下がった。しかしその後、冬の時代(サボっていたころ)には、また77の数字を見ることもあった。反省してがんばったが、数字は72を下限に硬直状態に陥った。そして、ソウル市内での引越しから4ヶ月ちょっと、つまり徒歩通勤を始めて4ヶ月ちょっと、再び夢の60台に突入する気配を見せている。毎朝体重計に乗るのが楽しい。グラフは快調に右肩下がり。古いジ-ンズもはけるようになり身体も軽いので、60台という数字にこだわらなくてもいいのだが、目標達成というモチベ-ションを得るためにも、70の壁はどうしても越えたい。そしてその日が迫っている(ような気がする)。

1つ気がかりなのは、うちの体重計の精度である。試しに3度続けて計ってみると、3回とも違う数字を示した。違うと言っても、1回目が71kgで2回目が96kg、3回目が27kgというような差ではなく。最大と最小の差は300g。だから大騒ぎしなくてもいいのだが、痛くもない腹を探られること無く(誤魔化してるんとちゃう?とか)、キッパリと「60台達成」を宣言したい。「60台を達成したと思われる...けど、ひょっとすると何かの手違いで実はまだ70台の可能性あり、その辺りは鋭意調整中」などというウヤムヤ的達成は嫌なのだ。

対策として:

1.非常に精度の高い(たぶん値段も高い)体重計を買う(購入に際しての正当化が難しく、家庭内予算委員会で否決される公算が高い)
2.体重を計るのをしばらく中止し、最低でも69.6くらいになってから計る(これには、いつ69.6になったかを計る別の体重計が必要になる)
3.片足だけのせて測る(体重計はだませても自分はだませない)
4.69.9と書いた紙を体重計の表示板に貼り付け、何時如何なる時も常に69.9しか表示しないようにする(飛行機に乗るとき、ス-ツケ-スの重さを確認できない)

今のところ3と4が、「腹案」として検討されている。
70kgを切った切らないの悩ましい日が続きそうだが、それもまた「楽し」である。

nice!(11)  コメント(25)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

徒歩通勤は楽しく、そしてファッショナブルに [ウエルネス]

先日、2つの買い物をした。1つは濃いブラウンの皮製リュックサック、もう1つは黒のバスケットシュ-ズである。

1月の引越しを機に、会社がぐんと近くなったので、徒歩通勤を始めた。片道30分ほど、引越し以来ほとんど徒歩皆勤賞である。これは身体的・精神的にとてもいい。往復1時間歩くのが身体にいいことは当然として、渋滞でイライラすることもなく、歩くことに集中し、また街の様子や季節の変化を観察するのも気分的にまことによろしい。

当初の徒歩通勤スタイルは、PCバッグを襷がけにし(両手が自由になる)、足元は週末に履いている白いバスケットシュ-ズを着用した(革靴では歩くことを楽しめない)。私はどちらかと言うと、服装や見かけにあまり頓着しない方である。機能重視、見かけ軽視派である。しかし、これに、「待った」がかかった。「50過ぎのいいおじさんが、ス-ツ姿に白のバッシュはないのではないか」と言うのである。「会社に着いたらちゃんと黒の革靴に履き替えてるし、誰に迷惑がかかるわけでもなし、何の問題があるのか。私はこの白のNイキのバッシュが殊更気に入ってる。今まで履いてきた靴の中でも屈指の優れものだと認定している。そういう世間体を気にする態度が、自分の意思や責任感のない人間を作り出し、将来の日本社会を危うくするのだ...」、ま、このような私の張った論陣は、家庭内抗争を避けようとする本能によって撤回され、あっけなく提言を受け入れることになってしまった。ただ、革靴では歩きたくないという点は譲らなかったので、黒いスポ-ツシュ-ズという妥協案で落ち着いた。かばんの方はPCバッグでまったく問題ないはずなのに、何故か「50過ぎのいいおじさんが襷がけなんて...」。50過ぎのおじさんのスタイルはそんなに制限されるのか? 50過ぎのおじさんや中学生の服装規定には自由が許されないのか? 「黒っぽいリュックにしてはどうか?」、天の声は言う。ま、この点に関しては、細かい分析を待たなくても、歩くときの機能という点において、リュックがPCバッグより優っているのはほぼ確実なので、提案を素直に受け入れた。ただ、「50過ぎのおじさんが、リュックを背負って通勤」という図が、PCバッグを襷がけにして歩いている図よりも、世間的受容度が高いかどうかという点に関しては、若干疑問が残るところである。

そして買ったのが、こげ茶色の革のリュックサック。韓国では新学期が3月から始まるということもあり、ちょうど通学用のリュックが売り出されていた。しかし、まさか小中学生が背負うようなリュックを、50過ぎのいいおじさんが背負うというのは、いかに私が機能重視派だとしてもちょっと抵抗がある。この辺り私は自分の弱さを認めねばならない。せめてドラエモンやシンちゃんの絵のないリュックが欲しい。2~3軒回って適切なリュックが見つかった。ちょっと小ぶりの、でもノ-トブックくらいは入りそうな、こげ茶の革のリュック。これなら、週末の街歩きにも使えそうだ。

難航したのは靴である。なかなか真っ黒というのがありそうでない。靴は黒でも、メ-カ-のロゴが白や金色で大きくデザインされているものが多い。R-ボックのいいのがあったが、合うサイズのがなかった。Nイキのバッシュにもいいのがいあったが、ロゴの大きさや色が問題だった。また、エア-クッションが目立ちすぎたりもする。こう書いてみると、「見かけにこだわらないはずの自分」と「現実の自分」は大きく乖離しているようにも思える。この自己矛盾はいかに説明するべきか、今後の大きな課題だ。私は買い物に関しては、あまり忍耐強い方ではない。さっと買ってさっと帰りたいのである。靴一足選ぶのに、50過ぎのいいおじさんが時間をかけるべきではない。そう思って入った店で、Aディダスの真っ黒なハイカットのバスケットシュ-ズに出会い、それに即決した。真っ黒でサイズさえ合えば何でもいい...

そして毎日この2つのウォ-キング・アイテムと共に徒歩通勤をしている(他にもiPod miniだとか、柔らかい手袋などもあるが)。

私は幸せに歩いている。歩くことが幸せだ。ただし、車に乗らなくなったので、バッテリ-が上がらないように注意しなければならないのが、悩みの種である。

nice!(7)  コメント(24)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ファッション

五十肩始末 完治への道 最終回 [ウエルネス]

診察室とは別の治療室に入る。「服をぬいでください」、上半身裸になって、所定の位置に座っていると、先ほどのパク先生が、3人の白衣の若者を引き連れてやってきた。「雀翁さん、これはインタ-ンの学生たちです。治療の様子を見せてもいいですか?」 そう言えば、ここは大学病院だった。私のFrozen Shoulder治療が、世界の医学会の発展に寄与するなら、私は喜んでこの身をささげましょう...「ええ、もちろんいいですよ」。 心の中では、痛くて泣き叫ぶような治療でないことを願う。パク先生は、エコ-の機械(のようなもの)を使って、私の右肩と腕の付け根あたりをスクリ-ンに映し出す。「OXOXOX...」、学生たちに説明する。「この辺りが硬直しているようですね、ここに注射をしましょう」。私は注射があまり好きではない(嫌いだ)。どちらかというと嫌いな方だ(大嫌いだ)。「誰かから10万円もうらうのと、注射をされるのだったらは、どちらを選ぶ?」と聞かれたら、必ず「10万円をもらう」方を選ぶだろう。注射がいやなのは、痛みもさることながら、針という異物が、体内に侵入しているということに、大変な違和感を感じるからである。実際、注射されたり、採血されるとき、注射器から顔をそらし、注射されているという現実をヴィジュアル的に認識しないようにする。「Seeing is believing.」 見さえしなければ、「注射されているような気もするけれど、それは何かの間違いかもしれない」と、自分を誤魔化すことが出来る...(我ながら、理屈の多い人間である)。 「ほら、雀翁さん見ててください...」、(見たくないっちゅうのに!)、パク先生に言われては顔をそむけられない。驚いたことに、パク先生は、エコーの機械を操りながら、注射をしようとしている。「ほら、スクリ-ンを見てください」。ああ、なんということだ。私の肩に注射器の針が進入してくるところが、スクリ-ンに映し出される。注射器は遠慮なくどんどん入ってくる。「さあ、この辺ですね」、パク先生は注射器のピストン(?)を押し出したらしい。スクリ-ンの中では、私の筋肉か脂肪かは分らないが、それが、注射器から出てくる液体に押され形を変えていく。「あ、おもしろい!」、私は一瞬それが自分の肩の中でで起こっていることも忘れ、見入ってしまった。「はい、終わりました」、スクリ-ン(私の肩)から注射針が退場していく。「さあ、もう一本いきますよ」、肩のアップ、注射針の進入、液体の注入および筋肉の変化、注射針の退場の一連の作業が、もう1度、スクリ-ンの中で繰り返される.... 私は何とか気絶することから免れた。

「じゃあ、処方箋を出しますから、薬を買ってください。それと帰る前に、治療の予約をしてください。一週間後にまた会って様子を見ましょう」。本日の診察・治療は終わったようだ。インタ-ナショナル・クリニックの人について、支払いを済ませ、治療の予約をしに行く。「朝8時半から夕方4時までならいつ来てもいいです」、治療家の理学治療士(?)のお兄さんが言う。彼も英語がいける。「でも、今日は注射をしましたから、明日以降どうぞ。ええっと、次回の診察までに3回治療することになってるようですから、3回来てくださいね」、「あのう、治療ってどれくらい時間がかかりますか?」、「一時間ちょっとですよ。忙しいんですか?」、「ええまあ。じゃ、明日朝一番に来ます」。

病院の前の薬局で処方箋を出し、薬を買う。この時点で、痛みのレベルはほとんど変わっていない。右肩から腕にかけて鈍痛があり、腕を動かすと方向と角度によって、激痛が走る。一旦、アパ-トにもどり、さっそく薬を飲む。痛み止めも入っているはずだ。腕に気をつけながら着替えをし、車で会社に向かう。左手を中心に運転すれば、運転にさほど支障はない。ただ、ギアを動かすのは右手(韓国は右側通行なので左ハンドル)なので、そのときは左手のサポ-トがいる。1度右手だけでギアを入れようとしたら激痛が走った。

遅れて出社した私をみんなが心配そうに気遣ってくれる。症状を説明すると、みんなが一様に微笑み(何で?)、それは「オ-シップ・キョンだ」と言う。オ-シップは五十、キョンは肩。まさに全く同じ言い回しが韓国でされているらしい。「ちがうちがう。これは、五十肩などではないんです。そんなおっさんくさいものではありません。Frozen Shoulderというファッショナブルな名前の病気なんですよ」。

注射が効いたのか、薬が効いたのか、会社から帰るころには、痛みは粗方引いていた。車のギアも右手で入れられる。夕食後、また薬を飲む。二晩ぶりにまともに眠ることができた。

翌朝、8時半ちょどに、順天郷病院の治療センタ-に行く。顔を覚えていてくれたらしく、「はい、こちらへどうぞ、上半身裸になって、その治療用の服に着替えてください」。やさしそうなお兄さんが担当らしい。約20分肩をあたため、その後やはり20分ほど電気マッサ-ジ。とても気持ちがいい。隣の治療ベッドからは、いびきが聞こえる。その間、私は相変わらず「志の輔」を聞いていたので、笑いをこらえるのに苦労した。そのあと5分ほど、マイクロ周波による治療(なんだかよくわからない)。そしてそれらが終わって、お兄さんが一枚の紙をくれた。「これは、リハビリ用の運動です。ほら、この絵のとおり一日3回づつくらいやってください。あちらの、リハビリ室でちょっとやってみましょう。某を持って腕を伸ばしたり、肩を回したり...そのとき私はようやく気がついた。「あれ?痛くないやん」。そうなのだ、昨日の朝までは痛くてろくに動かせなかった右腕が、ほとんど痛みを伴わず動くようになっている。「えっ?一年とちゃうん?一日で?」。注射2本恐るべし! 腕が、肩が動く。100%とは言わないけれど、80%回復。痛くない。すばらしい。お兄さんに教えてもらいながら運動し、リハビリ室にあり器具も使って肩を回したりした。「じゃあ、この紙に書いてある運動、家でも会社でもしてください。また明日来れますね?」、お兄さんにお礼を言って病院を出る。

回復の早さにも驚いたが、もう1つ心に残ったことがあった。それはリハビリ室の様子だ。家族や看護士さんたちに支えられて、何人もの人が一生懸命体を動かしていた。高齢の方が多かった。TVなどでリハビリの様子を何回も見たが、現実はきびしいようだ。支えてくれる人がいないと、リハビリができない。そしてそれは、遅々として進まない。強い忍耐と長い時間との戦いでもあるようだった。私の肩の痛みなど、しゃべるのもおこがましい。「がんばってください」、壁の車輪を右手で回しながら、私は何度も心の中で声をかけた...

長々と書いてしまったが、私の第一回五十肩、いやFrozen Shoulderは、病院を訪ねて24時間後には、あっけなく80%の回復を達成した。そのあと、日を変えて同じ治療を2度した。翌週、パク先生を予約時間に訪ねる。「ああ、治りましたかぁ。たった注射2本でねえ...」、パク先生は満足そうに話していた。これはまた起こるかもしれないということ、常に腕や肩を無理せず動かすということなどの指導をいただいて、診察終了。発症から3週間近くになるが、私のFrozen Shoulderは、すっかり溶けたようで、回復レベルも90%のような気がする。たくさんの方から、「一年以上」と聞かされたけれど、幸運なことに、治療がよかったのか、症状が軽かったのか、とにかく痛みを感じずに生活できるようになった。

そして、注射の威力を知った私は、すっかり注射愛好者、注射フェチになってしまった...というようなことは
なく、ラジオ体操第一の手足の運動を繰り返す毎日である。

どんとはれ。

nice!(8)  コメント(21) 
共通テーマ:健康

五十肩始末 その2 [ウエルネス]

痛みを鎮痛剤「V」で抑え、眠れぬ夜が明けた。インタ-ネットによると、「スンチャンヒャン(順天郷)病院」のインタ-ナショナル・クリニック部門は朝9時始まり。8時半前、アパ-トの前でタクシ-を拾い、「スンチャンヒャンへ、カ・ジュセヨ(行ってください)」、運転手に行き先を告げる。「ビョンウォン(病院)?」、運転手が聞き返してくる。「ネ-、スンチャンヒャン・ビョンウォン イムニダ」。集中力がなっく、行き先を正確に伝えてなかった。順天郷病院ではなく順天郷大学にでも連れて行かれたら(どこか知らないが)えらいことだった。15分ほどで病院到着。

「インタ-ナショナル・クリニック部門はどこですか」、案内所で聞く。受付とは別に案内所のある総合病院だ。建物、内装は古いけれど、しっかりしていそうである。前にリ-さんに聞いたら、「そりゃあ、サムソン病院がいいですよ、高いですけど。5スタ-ホテル以上の設備とサ-ビスです」、と言っていたが、如何せん、サムソン病院は江南地区にあって、うちから遠くそして交通渋滞がひどい。「そこの階段から2階に上がって、ああ行ってこう行って...」、案内所のお姉さんが、正しい英語で対応してくれて助かった。2階に上がり、廊下にある案内板を頼りに、建物の奥深く侵入する。廊下のつきあたり近くに「インタ-ナショナル・クリニック」の看板を見つけて一安心。そこの受付で症状を言って、住所・電話などの情報を書いて、患者のカ-ドを作ってもらう。このインタ-ナショナル・クリニックは、外人専用の一般診察をが担当で、症状によっては、診察の後、専門の部門へ回される。バンコクにいた当時、バムルンガ-ドという病院に何回か足を運んだ。そこもいわゆる、「5スタ-病院」である。そこには、日本人専用受付まであって、通訳の人が、ずっといっしょに着いて回ってくれ、ドクタ-との会話もその通訳の人が中に入っていた。そこまでのサ-ビスじはないが、すべて英語で事が足りるのはありがたいことだ。スイスにいたときは、英語が通じない(フランス語圏だったので)ことがよくあり、かなり困った。そういう意味では、日本はどうか知らないが、アジアでは英語を使えるとたいてい事が足りる。

「Mr. 雀翁」、10分ほど待ってと名前を呼ばれる。ドクタ-は若い人で、英語が堪能だ。「私は、前に日本に住んでいたことがあります。聞き取りは大丈夫です。だから、日本語でしゃべってもらっていいですよ。でも、話すのは苦手なので、私は英語で話しますが」とそのドクタ-は英語で言った。こっちが日本語でしゃべって向こうが英語で応えるというのもやりにくいので、会話は英語になった。「さて、どこがどうなんですか?」。私は、本日に至る経過を話す。「じゃあ、ちょっと、右腕を上げてください...そこまでしか上がりませんか?...これはどうです?」と私の右肩を触る。激痛に顔が歪む。5分ほどの診察の後、「わかりました。これですよ。」と、机の上のPCでインタ-ネットを開き、Googleで検索を始めた。「はい、これです」。画面を見ると、「FROZEN SHOULDER」とあった。直訳すると、「凍りついた肩」。つまり、「動かない肩」。「そのままやんか! もうちょっとひねったネ-ミングはないの?」などとは思っても言えない。「五十肩」と「Frozen Shoulder」と比べれば、やっぱり、「Frozren Shoulder」の方がいいような気がする。

「わて、ここんとこ、五十肩患うろうてまんねん。えらい、おうじょうしまっせ」、と言うよりは、
「おれ、ちょっと最近、Frozen Shoulderやっちゃってさあ、いやんなっちゃうよ、まったく」

の方が、何やらハイカラ(?)な感じがする。少なくとも年齢との因果関係がまったく言及されていないところがいい。「病いは気から」なのだ。「Mr. 雀翁、運のいいことに、今日は英語の堪能なスポ-ツ・ドクタ-が来ています。そちらに行ってください」、「スポ-ツ・ドクタ-ですか?」、「そうです、パク先生なら、きっとすぐに直してくれますよ。」

インタ-ナショナル・クリニックのアシスタントのお兄さんの後に着いて、長い廊下を移動する。「はい、じゃ、ここで待っていてください」、スポ-ツ・ドクタ-のいる部門の受付の前の椅子を勧められる。こんなこともあろうかと、ちゃんとi-Podを持ってきた。最近のお気に入り、立川志の輔の創作落語を聴く。注意してないと声を出して笑ってしまいそうだ。それにしても彼の「みどりの窓口」は絶品だ。話の途中で、「Mr. 雀翁」と呼ばれる。「もうちょっとあとで」というわけにはいかないから、涙を飲んで志の輔とさよならする。

パク先生も若い先生だった。英語も堪能。インタ-ナショナル・クリニックのときと同じような話をし、パク先生は、私の肩を触ったり、私にいろんな方向に力を入れさせたりして、症状を見る。私の腕を押さえて、「はい、外側に押してみてください。もっと押せませんか?」。「あ、痛! できません」。「わかりました。これはFrozen Shoulderという症状です。45歳から65歳くらいまでの人がよくなります。原因ははっきりわかってないんです。肩の骨と筋肉をつなぐ腱が硬直するんです。放っておいても一年ちょっとで直りますよ。心配ないです。でも、1度直ってもまたなることがありますし、左右両方なる人もいます。オフィス・ワ-クの人がよくなる傾向があるようです。あと、ゴルフのしすぎとか。え、ゴルフはしない? そうですか。初期段階では、痛くて眠れない人もあるようです。え、昨日眠れなかった? そうでしょう」、「先生、一年は長いですね、この痛さとそんなに長くつきあえません、なんとか一週間くらいに負けてもらえませんか?」、「ははは、動かすと痛いのは変わりませんが、動かさなければ痛みは自然に和らぎますよ。そうですね、一週間かどうかはわかりませんが、医学も進歩していますからね、よければ、腱の硬直をほぐす注射をして、薬を飲んで、治療をして見ますか?」、「体のほかの部分に影響がないなら、是非そうしてください」、「わかりました。ではちょっと準備をしますから、一旦外に出て待っていてください」

「みどりの窓口」で、客が叫ぶ。「だから、おまえの持ってる切符を全部ここに並べろ! その中から、オレが好きなのを選ぶからよ!」、志の輔の世界へ戻る。i-Podをにたにた顔で聞いていると、看護士のアジュマが呼びに来た。ああ、まだ途中なのに... 

nice!(7)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

右肩激痛始末 その1 [ウエルネス]

旧正月の日、ロッテ・ホテルのレストランでささやかなお祝いをし、景福宮でお正月の様子を楽しんだあと、帰宅の途に着いた。最近は休日の移動手段にはバスを多用している。便利だし、バスレーンの完備されたソウル市内ではそれが1番早いのだ。景福宮のすぐ前、ソウル一の格式を誇る世宗文化会館から、150番のバスで家の前まで、乗り換えなし。

バスの唯一の欠点は、揺れることだろう。でも、窓枠の上にある手すり棒を持っていれば大丈夫だ。大丈夫のはずだ、それを持っていれば...それを持ちさえすれば、と右手を伸ばす。「痛っ!!」、その瞬間、歴史は動かなかったが、私の右肩のあたりに激痛が走る。「あれっ、どうしたんだろう。右腕がおかしい。窓枠の手すり棒まで、右腕が上がらない。正確には、右腕は、地面から約70度くらいまでしか上がらないのだ。それ以上持ちあげようとすると、また激痛。仕方がないので左手で手すり棒を持ち体を支える。身体は安定を得られたが、精神は大変不安定である。「どうして、右肩に激痛?」、さっきまでなんともなかったのに。

アパートの部屋に戻って、着替えをしようとするが、右腕を服の袖から抜くことができない。抜こうとして右腕を動かすと、また激痛。ゆっくりゆっくり、なんとか左腕の能力を総動員して、着替え終わる。そのころには、私の右腕の肘から肩にかけては、痛みの総合商社のようになっており、角度によってはコーヒーカップを持って口に運ぶことさえ儘ならなくなっていた。「それ、きっと50肩や」、インターネットでいろいろ調べていた家内がうれしそうに言う。「自然に治るけど、1年くらいかかるんやって」、とても嬉しそうに言う。「1年?、この痛さが?」 そい言えば予兆はあったのだ。正月明け、日本なら戻って以来、どうも右腕上腕に少し痛みがあった。それでも、正月に増えた体重を落とすべく、腕立て伏せなどをしていた、「こんな痛みなど、精神力で克服するぞ」。あれがいけなかったのか。それとも、旧正月の前後、ソウルには大寒波が来ていた。この日も外はマイナス7~8度。手はポケットに入れたまま、寒さに耐えていた。この寒さが肩に来たのか。その夜は、右肩・腕が痛くて、よく眠れなかった。

翌日は、まだ旧正月のお休み、病院は開いていない。右肩には鈍痛が常駐しており、時々、腕の動きによっては激痛をもたらす。「50肩」ってのんびりした名前なのに、こんなに痛いのか。「鎮痛剤を飲んでみようか?でもあれは、頭痛専用じゃなかったかな?」。使用説明書には、「頭痛専用」とは書いていない。それどころか、関節痛もOKの表示がある。「これだ。とりあえず、あと1日、これでなんとかしのいで、明日病院に行こう」。鎮痛剤、「V」は結構効いて、肩の痛みは和らいだ。「さて、どこの病院に行こうか」。引っ越しの時もらった本や、日本人会発行の案内書をめくる(左手で)。いろんな病院が載っているが、そんなものを見ても、どこがいいか、まったくわからない。その中で目を引いたのが、「スンチャンヒャン(順天郷)病院」。18年前の赴任中、1度だけやっかいになった記憶がある。それに家に近い(車で10分)。何より、「順天郷大付属病院」、名前が日本の「順天堂大学病院」によく似ているのでなんとなく親しみが持てる。順天堂には私の高校の友人も行っていた(まったく、病院選択の理由として不適切意である)。案内書には、「日本語がわかる先生「も」います。International Clinic 有り」とある。言葉も大丈夫そうだ。次の日、朝一で病院に行くことを家内に宣言する。宣言しておかないと、「痛みが和らいだ」、などの理由をつけて、病院行きをなんとか避けようとするのが自分でよわかっている。宣言することにより、その逃げ道を断つ、いわゆる「背水の陣」を自分に課したのである。常に私は自分に厳しいのだ。

その夜、「V」が効いているとは言え、完全ではない、覚醒と浅い眠りとの間を行き来しつつ、いろんなことが頭に浮かぶ。「まあ、51年も生きてきたのだから、50肩を患うのは当然、年相応と言えるかもしれない。右腕にはいろいろ負担もかけてきたし。でもなんか、老眼といい50肩といい、そのままのネーミングやなあ、もうちょっとひねった・しゃれた名前はないんやろか。英語では老眼鏡のことをReading Glassって言う。読むためのメガネ。なんかしゃれてるなあ。50肩にもなんかしゃれた名前があるかも知れへんなあ。 でもほんまに50肩なんやろか?他の原因かも知れへんしなあ」...

そして、私の頭に浮かんだのは「范文雀」、立木大和のジュン・サンダースだ。美人の范文雀の顔に墨を塗りつけて、ブラジル人2世かなんかという設定だった。鬼コーチ、中山仁の指導のもと、岡田可愛とペアーを組み、子供心にも、どう考えても納得できない、あの「X攻撃」を完成させたジュン・サンダース。「あんなに高くジャンプできるなら、ややこしい「X攻撃」などせず、普通にアタックしても十分通用するのに」、と思ったのは、私だけではあるまい。そのジュン・サンダースを襲った恐ろしい病気。ひょっとして私はあの病気になったのではないだろうか。この右肩の痛み。右肩を押え、痛みに顔を歪めるジュン・サンダースの顔が、「サインはV」のテーマソングと共に、はっきりと思いだされる... 「ジュン、しっかりして!」、泣き叫ぶ岡田可愛。ああ、ジュンといえば、やっぱり、「黒板純」。「純、しっかりしろ!」、。叫ぶ、田中邦衛... 覚醒と浅い眠りの中のストーリーは混沌としている。まったく、眠れた気はしなかったが、やがて、翌朝、病院へ行く朝がやって来た。

nice!(10)  コメント(20)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康
前の5件 | - ウエルネス ブログトップ