京都大原三千院 伏見稲荷でコンと鳴く [旅行]
娘が京都の大学に通っていた6年間、何回かその街を訪れ、そして好きになった。行く度に新しい発見のある古都である。この春、娘は東京へ発ったが、京都は私にとっても親しみのある街になった。年末、その京都をまた訪れることになった。本拠地の明石からは新快速に乗って約1時間である。四条烏丸の安ホテルで荷物を預け、早速、錦市場あたりから始める。とても込んでいたが、この市場は、京野菜、漬物、海産物、お茶、お米、お箸、食器、台所用品、扇子など、見るだけで楽しいもの満載である。特に年末ともなれば、それらしいものがずらりと並ぶ。和食器と生姜のおろし金を買った。河原町の交差点を過ぎ、鴨川を渡り、八坂神社を抜けて、高台寺の境内を通り、2年坂3年坂を歩いて、清水さんへ出る。みたらし団子を食べたり、汁粉屋に入り込んだり、いろんな店を冷やかしながら歩く。楽しい。山ほどの試食品とお茶までただで飲める「おたべ」の店にいると、お腹いっぱいカロリ-いっぱいになってしまう。清水さんに着いた時にはもう暗くなりかかっていたので、参拝はせず、来た道をホテルに戻る。夜は京都とは特に関係のない串カツ屋に行く。次から次へといろんな具材を揚げてくれる串カツは大好きだ。ホテルに戻ってくつろいでいると、夜11時過ぎ、同じく京都にいた娘が部屋にやってきたが、とても眠かったので、あいさつだけして眠ってしまった。









翌日、NHKの「猫の手、カエルのシッポ」ですっかり有名になった大原へ行く。四条烏丸からバスに乗って約1時間。バスはどんどん山間に入っていく。大原にはずいぶん昔来た記憶がある。しかし、その記憶は三千院に行ったというだけの記憶で、はたして三千院がどんな寺だったかさえ覚えていない。バス停から10分ほどで三千院につく。山門のところで写真を写していた和服の中年女性...妻は「あれは絶対男だ」と言う。私はあまり注意を払っていなかったので、その真偽はわからない。でも、もしそうなら、何か深い事情があるのだろう(特に知りたくはないが)。本堂に行く前に、生まれて初めて写経なるものをした。誰もいない小さな部屋に机が並んでいて、「ご自由にどうぞ」という張り紙があった。経文は般若心経ではなく、たった2行の簡単なものだった。机の前に正座し、心を落ち着ける...と言いたいところだが、寒い部屋で正座をした足が痛くて、心も身体も落ち着かない。しかし、なんとか背筋を伸ばし、筆をとる。見本の上をなぞっていくだけだから、どう考えてもきれいに書けるはずなのに、私のもった筆ペンは、私の意志に反し、また見本にも反し、ただ私の書道能力に即して、情けない字を書き連ねる。写経により、心は整然とし煩悩を忘れ清々しい気分になるはずが、書き終わった自分の字を見て、心は乱れ、曇った気分で、「ペン習字でも習おうか」と、煩悩をむき出しにしてしまった。どうやら、私は写経に向いていないらしい。部屋の前のお盆に写経の紙を奉ずるように指示されていたが、こんなものを奉納したらかえってバチがあたるのではないかと危惧する。お庭を見て、阿弥陀さんを拝見してようやく心が落ち着く。三千院を後にして、音無しの滝へ向かう。シ-ズン・オフなのだろう、ほとんど人と出会うこともなく、山の道を川の上流へと歩く。とても気分がいい。写経のこともすっかり忘れられた。滝はそんなに大きなものではなかったが、趣のある静かな場所だった。Uターンして、寂光院へと向かう。お寺に入るつもりは無く、ただ大原の山里を歩きたかった。TVで見るベネシアさんの家のあたりの風景とは、ちょっと違ったが、のんびりしたいい所だった。足を伸ばして、田んぼの農道をぶらぶらする。しかし、よく考えれば、このような所は全国いたるところにある。わざわざ、大原まで来なくてもいいのだ。途中、道の駅のようなところで、「大根うどん」なるものを食べた。とてもおいしかった。夜は五条烏丸にある蕎麦屋に行った。前に娘が住んでいた関係で、何回か行ったことがある。蕎麦以外のものも美味しく、またテキパキしたスタッフのサ-ビスが気持ちいい。サラダ、各種牡蠣調理、漬物などで、ワインと日本酒を飲み、蕎麦で締めた。









翌日、朝のうちにチェックアウトして、荷物を祇園の旅館に運んだ。最後の一泊は、何回か泊まった祇園の旅館ですることになっていた。荷物を預かってもらって、JR京都駅から伏見稲荷へ向かう。別にお稲荷さんを信仰しているわけではないが、今回は京都の中心部からちょっと外れた?所へ行こうという魂胆である。だいたい、稲荷神社が何者なのかまったくわかっていない。紅い鳥居ときつねののイメージがある他は何も知らない。そして実際に行った伏見の稲荷大社は、ものすごかった。総本宮の名に恥じない、とてつもない規模だ。山一つが稲荷大社とその姻戚の神々?によって覆われている。正月前ということで、初詣の用意が進んでいた。人ごみに弱い私は、人が繰り出す前の年末に来るのが正解だったようだ。さて本殿に詣でお賽銭を探った。財布の中の小銭は...2円。まさかの2円しかない。妻と分ければ一人1円。50を過ぎたいい大人が、お賽銭に1円て...しかし、それがいやなら、お札しかない。一挙に1000倍の千円だ。恥ずかしい話だが、未だに、お賽銭に紙を使ったことが無い。私は金属常用者である。私は宗教を持たない。あらゆる神仏を信じていない。それらを信じるには、今の世の中で起こっていることは酷すぎる。もし神仏がいるなら、そんな酷いことを看過するはずがない。神社やお寺にお参りするが、それは慣習的にするのであって、宗教的にするのではない。いろんな理屈をつけて、伏見のお稲荷さんにはまことに申し訳ないが、1円を奉じさせてもらった。そのくせ、「世界平和と、子供たちの飢餓の撲滅」と、とても1円でお願いするには厚かましすぎるお願いをした。信心ごとをして気持ちがさっぱりしたので、有名な千本の鳥居の続く神社の裏の山へ入った。紅い鳥居がはてしなく続き、その切れ間には数知れない祠がたくさん祭ってある。伊勢神宮などに行くとその静粛さや威厳に圧倒されるが、伏見稲荷ではそのにぎやかさに圧倒される。1周1時間ちょっとの裏山コ-ス?を歩いた。何故か、西洋人の数が多い。彼らがお稲荷さんを信仰しているとは思えないから、単に観光目的(私も同じ)だろう。
京阪で電車で伏見桃山へ出る。伏見は酒どころで、黄桜や月桂冠などのメジャ-ブランドもある。残念ながら年末で、利き酒(ただ酒)などはできなかったが、黄桜の蔵元で昔懐かしい、カッパのコマーシャルを見たり、100円でショット酒などを楽しんだ。伏見はまた幕末の浪士が徘徊した街でもあり、あの有名な寺田屋もある。坂本龍馬の定宿でが九死に一生を得た場所でもある。拝観料を払って入ったが、特に見るべきものはなく、最後に現存の建物と実際の寺田屋が同一ではない可能性が高いことを指摘した新聞記事なども展示されており、???である。









その旅館「K楽」には、何度か泊まって、いつもいい印象を持っていたが、今回はどうも違った。目に見えて「コスト削減」を感じてしまうのである。そしてそれが、料理の質にまで及んでいるのを知ってしまったとき、もう「K楽」に来ることはないと思った。朝ごはんなど、前泊の安いホテルの方がよっぽど立派だった。経営が苦しいのだろうが、料理の質を落としてしまったら、「料理旅館」の名が泣くし、お客さんは間違いなく離れていく。経営者は、何が大事で、何が削れるかを判断するしっかりした目を持たないと破綻への道を転がってしまうことになる。知った旅館がそういう風になるのはとても残念だ。
大晦日、娘を入れて3人でソウルに戻る。自宅に着いたのは5時過ぎ、大急ぎで近くのス-パ-に買出しに行き、7時半の紅白に間に合った。2011年の紅白は、例年にないいいで気だったと思う。









翌日、NHKの「猫の手、カエルのシッポ」ですっかり有名になった大原へ行く。四条烏丸からバスに乗って約1時間。バスはどんどん山間に入っていく。大原にはずいぶん昔来た記憶がある。しかし、その記憶は三千院に行ったというだけの記憶で、はたして三千院がどんな寺だったかさえ覚えていない。バス停から10分ほどで三千院につく。山門のところで写真を写していた和服の中年女性...妻は「あれは絶対男だ」と言う。私はあまり注意を払っていなかったので、その真偽はわからない。でも、もしそうなら、何か深い事情があるのだろう(特に知りたくはないが)。本堂に行く前に、生まれて初めて写経なるものをした。誰もいない小さな部屋に机が並んでいて、「ご自由にどうぞ」という張り紙があった。経文は般若心経ではなく、たった2行の簡単なものだった。机の前に正座し、心を落ち着ける...と言いたいところだが、寒い部屋で正座をした足が痛くて、心も身体も落ち着かない。しかし、なんとか背筋を伸ばし、筆をとる。見本の上をなぞっていくだけだから、どう考えてもきれいに書けるはずなのに、私のもった筆ペンは、私の意志に反し、また見本にも反し、ただ私の書道能力に即して、情けない字を書き連ねる。写経により、心は整然とし煩悩を忘れ清々しい気分になるはずが、書き終わった自分の字を見て、心は乱れ、曇った気分で、「ペン習字でも習おうか」と、煩悩をむき出しにしてしまった。どうやら、私は写経に向いていないらしい。部屋の前のお盆に写経の紙を奉ずるように指示されていたが、こんなものを奉納したらかえってバチがあたるのではないかと危惧する。お庭を見て、阿弥陀さんを拝見してようやく心が落ち着く。三千院を後にして、音無しの滝へ向かう。シ-ズン・オフなのだろう、ほとんど人と出会うこともなく、山の道を川の上流へと歩く。とても気分がいい。写経のこともすっかり忘れられた。滝はそんなに大きなものではなかったが、趣のある静かな場所だった。Uターンして、寂光院へと向かう。お寺に入るつもりは無く、ただ大原の山里を歩きたかった。TVで見るベネシアさんの家のあたりの風景とは、ちょっと違ったが、のんびりしたいい所だった。足を伸ばして、田んぼの農道をぶらぶらする。しかし、よく考えれば、このような所は全国いたるところにある。わざわざ、大原まで来なくてもいいのだ。途中、道の駅のようなところで、「大根うどん」なるものを食べた。とてもおいしかった。夜は五条烏丸にある蕎麦屋に行った。前に娘が住んでいた関係で、何回か行ったことがある。蕎麦以外のものも美味しく、またテキパキしたスタッフのサ-ビスが気持ちいい。サラダ、各種牡蠣調理、漬物などで、ワインと日本酒を飲み、蕎麦で締めた。









翌日、朝のうちにチェックアウトして、荷物を祇園の旅館に運んだ。最後の一泊は、何回か泊まった祇園の旅館ですることになっていた。荷物を預かってもらって、JR京都駅から伏見稲荷へ向かう。別にお稲荷さんを信仰しているわけではないが、今回は京都の中心部からちょっと外れた?所へ行こうという魂胆である。だいたい、稲荷神社が何者なのかまったくわかっていない。紅い鳥居ときつねののイメージがある他は何も知らない。そして実際に行った伏見の稲荷大社は、ものすごかった。総本宮の名に恥じない、とてつもない規模だ。山一つが稲荷大社とその姻戚の神々?によって覆われている。正月前ということで、初詣の用意が進んでいた。人ごみに弱い私は、人が繰り出す前の年末に来るのが正解だったようだ。さて本殿に詣でお賽銭を探った。財布の中の小銭は...2円。まさかの2円しかない。妻と分ければ一人1円。50を過ぎたいい大人が、お賽銭に1円て...しかし、それがいやなら、お札しかない。一挙に1000倍の千円だ。恥ずかしい話だが、未だに、お賽銭に紙を使ったことが無い。私は金属常用者である。私は宗教を持たない。あらゆる神仏を信じていない。それらを信じるには、今の世の中で起こっていることは酷すぎる。もし神仏がいるなら、そんな酷いことを看過するはずがない。神社やお寺にお参りするが、それは慣習的にするのであって、宗教的にするのではない。いろんな理屈をつけて、伏見のお稲荷さんにはまことに申し訳ないが、1円を奉じさせてもらった。そのくせ、「世界平和と、子供たちの飢餓の撲滅」と、とても1円でお願いするには厚かましすぎるお願いをした。信心ごとをして気持ちがさっぱりしたので、有名な千本の鳥居の続く神社の裏の山へ入った。紅い鳥居がはてしなく続き、その切れ間には数知れない祠がたくさん祭ってある。伊勢神宮などに行くとその静粛さや威厳に圧倒されるが、伏見稲荷ではそのにぎやかさに圧倒される。1周1時間ちょっとの裏山コ-ス?を歩いた。何故か、西洋人の数が多い。彼らがお稲荷さんを信仰しているとは思えないから、単に観光目的(私も同じ)だろう。
京阪で電車で伏見桃山へ出る。伏見は酒どころで、黄桜や月桂冠などのメジャ-ブランドもある。残念ながら年末で、利き酒(ただ酒)などはできなかったが、黄桜の蔵元で昔懐かしい、カッパのコマーシャルを見たり、100円でショット酒などを楽しんだ。伏見はまた幕末の浪士が徘徊した街でもあり、あの有名な寺田屋もある。坂本龍馬の定宿でが九死に一生を得た場所でもある。拝観料を払って入ったが、特に見るべきものはなく、最後に現存の建物と実際の寺田屋が同一ではない可能性が高いことを指摘した新聞記事なども展示されており、???である。









その旅館「K楽」には、何度か泊まって、いつもいい印象を持っていたが、今回はどうも違った。目に見えて「コスト削減」を感じてしまうのである。そしてそれが、料理の質にまで及んでいるのを知ってしまったとき、もう「K楽」に来ることはないと思った。朝ごはんなど、前泊の安いホテルの方がよっぽど立派だった。経営が苦しいのだろうが、料理の質を落としてしまったら、「料理旅館」の名が泣くし、お客さんは間違いなく離れていく。経営者は、何が大事で、何が削れるかを判断するしっかりした目を持たないと破綻への道を転がってしまうことになる。知った旅館がそういう風になるのはとても残念だ。
大晦日、娘を入れて3人でソウルに戻る。自宅に着いたのは5時過ぎ、大急ぎで近くのス-パ-に買出しに行き、7時半の紅白に間に合った。2011年の紅白は、例年にないいいで気だったと思う。
カナディアン・ロッキ-を歩く (その7 最終回) シャドウ・レイクへのけわしい道、そして旅の終わり [旅行]


4日のインタ-バルを置いて、またヤムナスカのガイドのお世話になる。小泉さんという30半ばの好青年。小泉さんとは5日間同行してもらった。山を歩きながら、花を見ながら、コーヒ-を飲みながら、小泉さんの人となりを知っていく。ガイドとの付き合いは、単に山のことだけでなく、たくさんの時間を一緒に過ごすので、その人自身のことを知ることにもなる。元ゼネコンの社員が、カナダで山岳ガイドをするに至った経歴も興味深かったが、彼が遥か北のユ-コンに本拠地を置き、夏は「出張」でロッキ-に来ているということも、ぞくぞくするような話だった。お互い海外に住む身であり、外国生活の苦労、日本への思いなどもたくさん話した。
小泉さんとの1日目は、カナナスキ・カントリ-という国立公園外でのハイキングだった。「軽めに」という言葉が出たのは、その次の日、大きな荷物(私たちにとっては)を背負って、約13kmの道を山中のロッジまで歩くという、この旅行中最も大きな(体力的に)イベントを控えていたからだ。すでに標高2,000mを超える峠のトレイル口を出発し、「雷鳥のカ-ル(氷河が半円状に山を削った所)」への往復コ-ス。森を上っていくと、すぐに森林限界線(標高2,000m~2,300mくらいで高い木は生存出来なくなるのでその名がある。このことは、前にツエルマットの電車の放送で聞いた)を超え、花がたくさん咲いたメドウ(草原)に出る。長之助草という高山植物が満開だ。カールでは滝が落ち、視界が開け全くのハイキング日和だった。









今回の旅行の持ち物リストには、「速乾性の服」というものが含まれていた。汗をかいても、すぐに乾くシャツ。私には、「綿は汗を吸うし身体にいい」という思い込みがあったが、ヤムナスカからの連絡やアウト・ドア・ショップで、この「速乾性」ということが重要視されていた。化学繊維で汗の吸収がよく素早く乾く。「綿」は乾きが遅く、吸った汗が逆に身体を冷やすので、低体温症を引き起こす原因になるという。これを聞いたとき、ずいぶん前に見た映画「八甲田山」の中で、雪山に倒れていく兵士たちのたちの姿が思い出された。そして、この速乾性の繊維には「軽い」というメリットもある。山中のロッジまで荷物を背負って長距離を歩くには、少しでもその荷物を軽くしたい。そして、アウト・ドア・ショップのお姉さんは、さらに驚愕のアドバイスをしてくれた。「私は山に入ったら着替えませんし...」。お姉さんでも着替えないのに、おっさんに着替えがいるのか?
小泉さんは、「スパッツがあるといいですね」と言う。シャドウ・レイクの近辺はかなりぬかるんでいるらしく、靴やズボンを守るためにスパッツが有効だそうだ。カナナスキ・カントリ-でのハイキングを終えて、小泉さんに教えてもらったバンフのスポ-ツ・ショップにスパッツなるものを買いに行く。店のお姉さんに「スパッツありますか」と聞くと、スパッツが何かわからないと言う。私は、手まねをしながら、「ほら、靴や膝から下を保護するアレ」と言うと理解されたらしく、「ああ、ゲ-タ-ね、下の階ににあるわよ」と教えてくれた。ゲ-タ-、つまり戦時中人々が「ゲ-トル」と呼んでいたものだ。靴のほとんどと膝と踵の真ん中辺りまでを覆う。マジックテ-プで(慣れれば)着脱も容易だ(そのはずだ)。50ドルほどで買ったこのスパッツ、シャドウ・レイクへの往復、そして向こうでの活動では常に使い、すっかり元を取った感じた。
ついに、Shadow Lake Lodge(シャドウ・レイク・ロッジ)へ行く日が来た。ロッジまでは13km、標高差400m(もちろん登り)。ロッジで3泊するので、その仕度を持って行かなければならない。しかもロッジの朝は寒く(防寒着がいる)、小泉さんは「スリッパとか持っていったら便利ですよ(ロッジ内の施設内ではトレッキング・シュ-ズ禁止)などと言う。私は、このシャドウ・レイク行きのためだけに、容量35リッタ-のザックを新調していた。着替え、防寒具、簡単な洗面道具、コ-ヒ-セット、なぜかiPod用の携帯スピ-カ-、小さな懐中電灯(夜中にトイレに行くとき必要)、お菓子(500円以内)などを入れる。持ってみる。重い。テントを張るわけでもなく、食事も出るし、シャワ-(共用)もあり、タオルも貸してもらえるので、この程度の荷物で大騒ぎしている私は、普通に登山をしている人から見ればきっと「笑止」だろう。でも私は、生まれて50有余年、35リットルのザックを担いで13kmも山道を歩いた経験などないのだ。これが大騒ぎをせずにいられようか。









朝8時、ホテルのロビ-に小泉さんが迎えに来てくれる。トレイル口まで我々を車で送るために、岩田さんもいっしょだ。出発前までヤムナスカとのメールのやり取りは、この岩田さんとしていたが、会うのは初めてだ。難波さん、James, 小泉さん、そしてこの岩田さん、私が会ったヤムナスカのすべての人は共通して、ソフトで丁寧で体つきもおとなしい。20分でトレイル口に着き、いざ出発。このトレイル口は、ハイウェイに隣接しているため、動物が出てこないように、鉄の戸があった。その戸は、大げさに言えば、人間界と自然界を隔てる戸でもある。ゆっくりしたペ-スで歩く。道の両脇は、ゴゼン・タチバナがいっぱいだ。ザックを買うときに、締めるポイントが4つあると教わったが、腰の位置、背負い紐(?)の長さ、胸の位置はわかったが、もう一つ思い出せなかったツ。「それは背中への密着度調整ですよ」、そう言って小泉さんが、一つのベルトを引っ張って教えてくれた。最近のザックはあらゆる面で工夫されていて、身体に楽なようにできている。「全部肩で背負おうとしないで、半分は腰で背負ってください」小泉さんに教えられてザックのお腹のベルトの位置を調整する。確かに、肩への負担が減り、歩きやすくなった。ゆっくりとしたペ-スで歩き、こまめに休憩(5分くらい)を取る。雨が降り出したが、もうすっかり慣れている。










「さあ、着きました」、最後のぬかるんだ登りを終えてシャドウ・レイク・ロッジに到着だ。7時間ほど歩いたことになる。ロッジにはメインの建物(食事をするところ)と8つばかりのキャビン(宿泊用ロッジ)があり、それにトイレとシャワ-室の建物(トイレ、シャワ-は共同)があった。建物はすべてログハウス風(またはそのもの)である。ホテルほど快適ではないが、「普通の山小屋の比べると天国だ」と小泉さんが言う。何と言っても、すでに山の中にいるので、歩かなくてもマウント・ボ-ルという3,300mの山が目の前に座っている。早速、メイン・キャビンでアフタヌ-ン・ティ-のお相伴にあずかる。このロッジでは。毎日午後、紅茶と手作りクッキ-で振舞われるのだ。それらを楽しみながら、目の前に3,000m超の山々を眺めるとは、なんと贅沢なことか...午後6時半になると、スタッフが鐘を鳴らす。夕飯だ。宿泊客(20人ほど)が一同に会し、ご飯を食べる。山小屋のご飯と比べるべくもない、ス-プ、サラダ、メイン、デザ-ト、コ-ヒ-と出てくる。カナダの家庭料理風だが、きちんと手が入っておいしい。「ここのチョコレ-トケ-キがおいしいってネットで見て、ここに来たのよ」、カナダ人のおばさんが言う。食卓はわきあいあい、今日はどこへ行った、明日はどこへ行く、そんな話で時間が過ぎていく。このロッジで驚いたのは、鍵がどこにもないことだ。宿泊用キャビンにもないし、共用のトイレにもない。山で生活するということの一端を知ったような気がした(トイレに鍵のない生活はちょっと難しい)。










次の日から、シャドウ・レイク・ロッジを基点に2つのハイキングをした。雨の中の沢渡り、ブッシュをかきわけての野性味あふれる山歩き、急坂を登る峠への道、トレイルを離れたお花畑、ガレ場を登った尾根筋からの眺望。どれも印象深いものだった。そして最終日には、早朝、朝焼けに燃えるマウント・ボ-ルが映る(はずの)シャドウ・レイクへ歩いた。そして、3日前来た13kmの道を帰る。ザックの中身はほとんど減ってないが、2週間カナディアン・ロッキ-を歩いた自信からか、それとも基本的にゆるやかな下りだからか、足はとても軽かった。「ハーイ」、私たちが歩く横をマウンテンバイクに乗ったロッジのスタッフたちが駆け下りて行く。








シャドウ・レイクから下山した日は、ロッキ-最後の夜で、なぜか妻の5X回目の誕生日だった。「好きなものを食べていいよ」、「じゃあ中華!」。この旅行中3回目の中華である。バンフの繁華街にある「銀龍(シルバ-・ドラゴン)」、とてもいい仕事をする。とくに丸3日、カナダ料理にどっぷり浸かった後だ、たいていの東洋料理はおいいしい。最後に街を流れるボウ河の畔を歩いて、ロッキ-での締めくくりとした。翌朝は5時前に置き、チェックアウトして、5:45のバスに乗ってカルガリ-の空港へ向かった。途中、朝焼けで赤くなった山々を見た。お世話になったヤムナスカの由来であるマウント・ヤムナスカもきれいに見えた。カルガリ-からバンク-バ-までの飛行はちょうどロッキ-の上をまたぐように飛ぶ。窓から、ロッキ-の雄大なスケ-ルが見てとれた。無数の雪を被った頂が見えた。トランジットのバンクーバー空港で、アイス・ワインと、Jamesが「好きだ」と言っていたカナディアン・クラブ(ウィスキ-)を1本づつ買った。
繰り返しになるが、この2週間の旅行で、私たちはカナディアン・ロッキ-の素晴らしさ雄大さを満喫し、そしてガイドと歩く楽しさを歩知った。ヤムナスカの人たちのプロ意識、実力、そしてその人柄が、大いにそれを助けてくれた。今回得た、ガイドの人たちからのいろんなアドバイスは、今後の歩く姿勢に影響を与えるだろう。それがいつになるかはわからないが、体が動くうちに、もう一度ロッキ-を訪れたいと思う。またそのときには、小泉さんが愛して止まないユ-コンの地にも足を運べたらと思う。そしてそれまで、あっちの山、こっちの山へ行きたいものだ。もちろん、山と山の間には、ビーチで寝そべることも忘れないようにしなくては...


カナディアン・ロッキ-を歩く (その6) アイスフィ-ルド・パ-クウェイを走る [旅行]

この旅では途中6日間レンタカ-を借りた。自分で運転して、ロッキ-の大動脈Icefield Parkwayを走るためである。Icefield Parkwayは、Lake LouiseからJasperまで約250km、ロッキ-の谷を南北に走っている。途中、雪を被った3,000m級の山々が見え、また数々の氷河湖を見られる(はずだ)。カナダは左ハンドル。日本に帰ったとき右ハンドルにとまどう私には問題ない。こんな機会はめったにないので、車種はアメリカ車(Ford)にした。車は道も広く、またとても空いているのでドライブは快適だ。意に反し、アメリカ車は日本車と同じくらいスム-ズに動いてくれた。燃費も思ったより悪くなかった。唯一の問題は、道がまっすぐで
動きが少なくて眠くなることくらいだろう。
Jasperを目指して走る往路は、雨曇り。氷河湖は見ることが出来たが、3,000m級の山々は姿を見せてくれなかった。途中、ロッキ-に来る観光客の95%が立ち寄るというコロンビア大氷河ばある。スイスの氷河に何回か立ったことがあり、それが特に面白いものではなかったので、今回は初めからパスすることに決めいていた。それでも氷河センタ-に立ち寄ると、たくさんの人がいて、氷河行きのバスが頻繁に出ていた。渓谷(Canyon)と言われる、雪解け水が河となり、岩を削って流れる所も数箇所見た。あれこれ立ち寄ったので、Jasperに着いたのは夕方6時ごろにだった。Jasperはカナディアン・ロッキ-の北の中心の町である。南のバンフより人が少なく、親しみやすい。駅前にあるホテルにチェックインし、街を歩いてみる。この日はロッキ-滞在中唯一ハイキングをしない日だったので、足がうずうずしていた。でも、インフォメ-ション・センタ-で翌日からのハイキング情報をもらって、街をぐるっと周るのが20分ほどで終わってしまった。わかりやすくて落ち着ける街だ。






翌日、車を西へ走らせ、国立公園を出てBC州の州立公園に入る。カナディアン・ロッキ-の最高峰、Mount Robsonの麓にあるLake Kinneyへのハイキングをするためだ。このトレイルは標高差が100mほどしかなく、とても楽である。川沿いに森を歩くのは楽しい。唯一の心配は例によって熊だったが、このトレイルは人気で比較的人が歩いているので、人の活動時間には熊が出る心配はほとんどないと聞いた。ただ、インフォメ-ション・センタ-では、「曲がり角では、ちょっと音を出すなど注意した方がいい」と言われた。「曲がり角」では、視界が聞かず出会い頭に熊に遭遇する危険がある。Mount Robsonの直下にある湖畔のキャンプ場までのトレイルは快適だった。花の写真を撮っていると、反対からやってきたハイカ-が、「あなた、花が好きなの? あっちにきれいなランが咲いてるから楽しみに歩いてね」と声をかけてくれた。















Jasperで2泊し、Icefield Parkwayを逆に走ってバンフに戻る。バンフに戻る前に、Mount Edith Cavelに立ち寄り、天使の氷河と言われる氷河を見た。朝早く、トレイルの出発地点の駐車場はガラガラだった。ガイドがいないので、もう少し人がいてくれ方が安心できる。途中何度も地リスに出会った。ここの地リスは人を全く気にせず、1mくらい近くに行っても平気で草を食べていた。晴れていたが、風は冷たい。やはり氷河を渡ってくるだけのことはある。ダダダダダ、大きな音がした方を見ると氷河か雪が、崩れ落ちていた。長い白い尾を引いて雪や氷が山を流れ落ちる姿はすさまじい。下山すると駐車場は満杯で路上駐車の列が続いていた












往きと違い、この日は晴れていたのでIcefield Parkwayのドライブは爽快だった。右に左に雪を被った山々が流れていく。川はとうとうと流れ、所々で美しい湖を作っている、途中、景色のいい路肩に車を止めコ-ヒ-タイム。Banffに着いたのは午後8時。







だらだら続いたカナダの旅行記もあと1回。
カナディアン・ロッキ-を歩く (その5) レイク・ルイ-ズの蜂の巣山 [旅行]

Lake Louise(ルイ-ズ湖)は、ロッキ-観光の大きな拠点である。湖岸まで車で行けるので、ロッキ-を訪れる観光客のほとんどが立ち寄る。Lake Louiseの魅力は、氷河湖独特の、その中でもずば抜けたコバルト・ブル-の湖水と湖に迫る氷河である。Lake Emeraldから出てくると、田舎からいきなり銀座に出たような人の数の多さに驚く。この日は、ガイドなしで、Lake LouiseからLake Agnesまで登り、さらにBig Beehive (大きな蜂の巣)の上に立つ予定である。標高差約500m、大丈夫なはずだ。
トレイルはわかりやすく迷う心配はないが、乗馬のツア-があるらしく、ぬかるんだ道がさらに馬に荒らされ、そしてたっぷりの馬糞で味付けされていたので少し歩き辛い。途中かなり雨にも降られたが、Lake Mirror(鏡の湖)というしっとりした湖を経て、Lake Agnesに到着。ちょうど雨も上がったので、湖岸でランチ。サンドイッチを食べ、今回一度も欠かさなかったランチ・コ-ヒ-を楽しむ。晴れ間も出て、Lake Agnesの湖面が光り出す。湖の左手に目指す「大きな蜂の巣」がある。もちろんそれは、蜂の巣でではなく、それらしく見える岩山だ。Lake Agnesの周りを約半分回って、スイッチ・バックの上りが始まる。ガイドブックに書いてあるように、見た目ほどきつくない。途中、ガイドの歩き方を思い出し、ゆっくりとしたペースで小憩を取りながら、ゆっくり登る。高度を上げるにつれLake Agnesの見え方が変わり、それも楽しい。蜂の巣の上は平らになっていて、そこを300mほど行くと、展望台があり終点。展望台からは、真下にLake Mirrorが見えるが、見るのは体勢的にちょっと怖い。少し目を上げると、どう考えても自然の色には思えないLake Louiseが一望できる。氷河湖は基本的に明るい青色をしている。氷河が削った岩が石になり、最後にはそれが石粉となって水に溶け込む。石粉は一定の光を反射させ、その光が氷河湖の明るい青色を形成している。その後、いくつかの氷河湖を見たが、色の濃淡はあれ、基本的に同じ色調だ。Lake Louise(ルイ-ズ湖), Lake Morain(モレ-ン湖), Lake O’Hara(オハラ湖), Lake Emerald(エメラルド湖), Lake Bow(ボウ湖), Lake Kinney(キニ-湖)...「好きなところには好きなだけいてもいい」、今回学んだハイキングを楽しむ方法。Leke Louiseを眼下に見ながら、時間を忘れて座っていた。
「山に登るとリラックスできる」、あとでお世話になったガイドの小泉さんが言った。急斜面を登るときは、登ることに集中して心が空っぽになる。きれいな景色を見て放心状態になる...心を空にすることがリラックスに繋がると。それまで、リラックスというと、南国のビ-チで寝そべることをイメ-ジしていた私だが、小泉さんの言葉は心に響いた。そして多分それが、私が「山に行きたい」と渇望した理由なんだと思う。
蜂の巣からLake Louiseまで降りていく途中、朝立ち寄ったLake Mirrorで休憩。朝は雨だったが、帰りには木漏れ日が差していた。ここは、氷河湖の色ではなく、正しい森の湖、澄んだ緑色をしていた。湖畔に座って深呼吸をすると心が洗われるようだ。これが、Lake Louiseに出ると、人がやけに多く、またしても田舎者の銀座状態になってしまった。景色を楽しむより、できれば早くその場から立ち去りたいとさえ思った。





















カナディアン・ロッキ-を歩く (その4) エメラルド・レイク・ロッジで快適に過ごす方法 [旅行]

>湖に君は身を投げた 花のしずくが 落ちるように
>湖は色を変えたのさ 君の瞳のエメラルド
>遠い日の君の幻を おいかけても空しい
>逢いたい 君に逢いたい 碧の瞳に 僕は魅せられた
かつてショ-ケンが歌った、「エメラルドの伝説」。子供心に、エメラルド色の湖なんてあるわけがないと思っていた(そのころエメラルド自体を見たことがなかったが)。しかし、今回の旅行でバンフのホテルに3日泊まった後、私たちはその名もずばり、「エメラルド湖」の畔にあるロッジを予約していた。エメラルド湖(Lake Emerald)はバンフ国立公園に隣接するヨーホー国立公園にある。Saddle Back Passに登った日の夕方、レンタカ-でEmerald Lake Lodgeへ向かった。カナダの1号線(Trans Canada Highway)から20kmほど入る。有料で借りたナビは、1号線を出た途端に道を表示しなくなった。つまりEmerald Lake への道はそのナビに登録されていないのだ。この後、このナビが主要道路しか把握せず、まったく役に立たないことがわかったので、ダッシュボ-ドに押し込んで使わなかった。大雑把なカナダらしいと言えばそうなんだけど...ロッジの専用駐車場に着いて、ロッジの建物を探すが見当たらない。「ん? ここで車止めてどうやってロッジに行くの? だいたい、ロッジはどこ?」、駐車場内をうろうろ探しても手掛かりがない。ふと見ると、駐車場入り口の小屋に張り紙(?)がしてあった。「シャトルバス乗り場。小屋の中の電話から連絡してください。すぐにシャトルバスを送ります」。探してもないはずだ、ロッジは別のところにある。電話をして10分...シャトルバスが来ない。さらに5分待っても来ないのでもう一度電話する。「今出ました」...蕎麦屋の出前か? このあたりでイラついてしまうのは日本人である。結局最初の電話をしてから約20分後、ようやくシャトルバス(10人乗り)が来た。「ハ-イ、元気?」、さわやかな笑顔でシャトルバスの運転手のお兄さんは言う。荷物を積んで、バスに乗る。駐車場からロッジまでは500mほどだった(もし荷物がなければ、歩いた方が圧倒的に早い)。ロッジについたとき、かなり雨が降っていた。「ほら、あそこ、レセプションの入り口はあそこだから。雨が降ってるから、走ったほうがいいかもね。荷物は後で運ぶから安心して」、50mほど離れた建物の入り口を指して明るく言う。仕方がないので走った。濡れた。ふと、湯布院の旅館の各部屋に置いてあった傘を思い出し懐かしかった。きっとこれがカナダ流なのだろう。大らかな彼らは、多少待つことや、雨にぬれることを屁とも思わないのだろう。でも、私は日本人だ。20分待たされ、レセプションマまで雨の中を走らされた。この時点でけっこうイラついていた。しかし、このイラつきは長く続かなかった。チェックインをして、ロッジの部屋に入ると、部屋は暖かかった。コ-ヒ-をわかして飲んでいる頃には、約束どおり荷物も運ばれ、穏やかな気分になっていた。イライラしてもつまらない、ゆっくりいくしかない。
翌朝、早めに起きてロッジの前に広がるエメラルド湖を周ってみることにした。部屋にあった地図によると一周5kmちょっと。いわゆる、朝飯前に行けるだろう。陽の当たる西側の湖畔にはたくさんの花が咲いていた。ゴゼン・タチバナというたいそうな和名のついたBunch Berryと言う可憐な甲斐武田家の家紋のような花が咲き乱れていた。立ち止まっては写真を撮っていたのでけっこう時間がかかった。帰りの東側の湖畔は、木が多く人の往来もほとんどないようなうすぐらい道だった。「熊はよく知ってて、人が行動し出す前に人のくる所から立ち去るんです...」、難波さんの言葉がよみがえる。そのときはまだ人が行動しだす前の時間帯だった。「エヘン、エヘン」、わざとらしい咳払いをしながら、「人間が来てますよ。あっち行ってね」、熊にメッセ-ジを送りながら歩く。結局、2時間ほどかけて湖を一周した。途中、見かけない鳥を見た。後で調べるとグラウスと呼ばれる雷鳥の仲間だった。
ホテル代には食事が含まれていなかったが、周りにまったく店がなかったので、ロッジのレストランで食べた。朝はコンチネンタル・ブッフェ、Hot Dishもあってなかなか充実していた。夜はかなり高額だったが、他にチョイスがない。カリブ(トナカイ)のステ-キやパスタは、けっこうおいしかった。
結局このロッジには3泊した。始めは様子がわからずちょっとイライラしたが、時間が経つにつれ快適さが増してきたような気がした。チェックアウトの朝、部屋に荷物を取りに来てくれるよう電話をする。10分ほどたって、「ちょっと時間がかかりそうです」というの連絡があったので、先にチェックアウトを済ませ、荷物が運ばれてくるのを待った。10人ほどのグル-プがほぼ同時にチェックアウトをしたらしく、うちの荷物にはなかなか手が回らないようだった。よく見ると、部屋からの荷物の運搬、ロッジと駐車場往復のシャトルの運転を1人のお兄さんがしていた。その近くでは別のお兄さんがのんびり鉢植えに水をやっていたが、職掌が違うらしく、一人奮闘のベルボ-イのお兄さんを助ける様子もない。約20分待ってまだまだ時間がかかりそうだったので、荷物なしにシャトルバスで駐車場まで行き、自分の車をロッジの近くまで回し、部屋から自分で車まで荷物を運んだ。ここを待ちきれないところが、ちょっと悔しい気もしたが、価値観が違うこと、時間が限られた旅行者であることを考えればそれも仕方なかったように思う。時間の流れ方が根本的に違うのだ。チェックイン、チェックアウトのプロセスを除けば、とてもいいホテルだった。
















